大判例

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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)114号 判決

原告 株式会社銭高組

右代表者代表取締役 銭高善雄

原告 株式会社銭高組名古屋支店

右代表者支店長 上平勲

原告ら訴訟代理人弁護士 松本正一

同 近藤堯夫

被告 中央労働委員会

右代表者会長 石川吉右衞門

右指定代理人 萩澤清彦

〈ほか三名〉

被告補助参加人 全日自労建設一般労働組合

右代表者執行委員長 初田一夫

右訴訟代理人弁護士 原山剛三

同 前田義博

同 岩崎光記

主文

一  原告株式会社銭高組名古屋支店の訴えを却下する。

二  被告が、原告株式会社銭高組らを再審査申立人、被告補助参加人を再審査被申立人とする中労委昭和五六年(不再)第七四号不当労働行為救済命令再審査申立事件について、昭和六〇年六月五日付けでした別紙2命令書記載の命令中、初審命令の主文第3項についての原告株式会社銭高組の再審査申立を棄却した部分を取り消す。

三  原告株式会社銭高組のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告株式会社銭高組に生じた費用の二分の一、被告及び被告補助参加人に生じた費用の各四分の一並びに原告株式会社銭高組名古屋支店に生じた費用を原告株式会社銭高組の負担とし、被告補助参加人に生じた費用の四分の一を被告補助参加人の負担とし、その余をすべて被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告らを再審査申立人、被告補助参加人を再審査被申立人とする中労委昭和五六年(不再)第七四号事件について、昭和六〇年六月五日付けでした別紙2命令書記載の命令を取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  愛知県地方労働委員会は、被告補助参加人(以下「組合」ともいう。)を申立人、原告ら(以下「会社」又は「名古屋支店」ともいう。)を被申立人とする愛労委昭和五四年(不)第二号事件について、昭和五六年一〇月二〇日付けで、別紙1記載の主文のとおりの救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。

(二) 原告らは、初審命令を不服として被告に再審査を申し立てたところ、被告は、中労委昭和五六年(不再)第七四号事件として受理し、昭和六〇年六月五日付けで、初審命令の主文第1、第2項の一部を変更したほか、再審査申立を棄却する別紙2命令書のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令は、昭和六〇年七月九日、原告らに交付された。

2  しかし、本件命令は、その事実認定及び判断に誤りのある違法なものであるから、取り消されるべきである。

二  請求原因に対する認否及び抗弁

1  請求原因1は認める。

2  同2は争う。

3  本件命令は、労働組合法二五条、二七条及び労働委員会規則五五条に基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は、命令書記載のとおりであり、その認定事実及び判断に誤りはない。

三  本件命令書の「第1 当委員会の認定した事実」記載の被告の認定事実に対する認否

1  「1 当事者等」認定事実

(1)及び(2)は認める。(3)のうち組合の存在、初審申立当時のその名称及び下部組織として名古屋支部及び大阪支部が存在することは認め、その余は不知。(4)は認める。

2  「2 本件申立前の労使関係」認定事実

(1)は、そのうち組合の名古屋支部が、昭和五〇年三月一二日の始業時刻直前、支部結成通告書、要求書、団体交渉申入等を名古屋支店長に手交したことは認め、その余は不知。(2)は認める。(3)は不知。(4)アは、そのうち太田次長が銭労の発行した「銭高組労働組合ニュース」に記載された回答額を読みあげたことは否認し、その余は認める。太田次長は、自己のノートを見て、回答を読みあげたものである。(4)イは認める。但し、専門委員会における会社の回答は現行どおりというものであった。(4)ウは、そのうち「銭労に対しては、五月一三日の団体交渉において別居者の実情にかんがみ、月一回程度支給の方向で検討したい旨回答した」ことを否認し、その余は認める。

3  「3 本件団体交渉状況」認定事実

(1)は、そのうち七條部長の発言内容を否認し、その余は認める。(2)及び(3)は認める。(4)は、そのうち、名古屋支店長が、一一月七日、名古屋支部に第一回団体交渉を同月二二日に開催する旨文書により回答したこと、この文書には、会社側交渉委員として名古屋支店長名が記載されていなかったこと、会社が、同月一七日、銭労との第二回団体交渉において第二次有額回答をしたこと、同日午後一一時ころ右回答を名古屋支部の副委員長宅に電話連絡したこと(なお、この電話連絡が「漸く銭労と同一内容の回答をした」ものであることは否認する。銭労に対して回答したことを通知したものである。)、名古屋支部が、昭和五〇年一一月二六日、被告認定のような要求をしていたことは認め、会社回答が常に銭労より遅れてされていたことは否認し、その余は不知。(5)は、そのうち名古屋支部が「時間外拒否及び休日出勤拒否通告書」を提出した動機は不知、会社が団体交渉を引き延ばしていること、昭和五三年一一月二日午後一一時ころになって銭労に対する回答内容を電話で通知したことは否認し、その余は認める。(6)ないし(11)は認める。(12)は、そのうち会社が名古屋支部に電話連絡したことは認め、その余は否認する。

4  「菊地の賃金問題」認定事実

(1)ア、イ及びウは認める。但し、寮棟でも竣工後間もなく多数の箇所でひび割れが生じ、雨漏りがするようになったため、会社は、その部分も補修した。(1)エは、そのうち、会社が、昭和五一年にした敷島製パン株式会社刈谷工場の増築工事の際、工場棟の構造関係の設計を一括して国末設計事務所に外注したこと、同工事現場では一階及び二階の丸柱にコンクリートを詰めたこと、菊地が当時これらに関して会社から叱責も注意も受けたことがなかったことは認め、その余は否認する。(1)オは、そのうち同排水設備の設計が追加されたことは否認し、その余は認める。(1)カは認める。(2)は、そのうち菊地が名古屋支部執行委員及び執行委員長を歴任したことは認め、その余は不知。(3)アは認める。但し、賃金協定は、名古屋支店ではなく会社が名古屋支部と締結したものである。(3)イ及びウは認める。

四  抗弁に対する認否及び原告らの主張

1  抗弁は争う。本件命令には、次の2ないし4記載のような違法がある。

2  当事者適格について

本件命令は、法人たる会社のほか、会社の一組織体にすぎない名古屋支店についても被申立人適格を認めて救済命令を発している。しかし、労働組合法二七条の救済命令の名宛人となるべき同法七条にいう使用者は、法律上独立した権利義務の帰属主体であることを要し、法人組織の一構成部分にすぎないものは、法律上独立した権利義務の主体とはなり得ないから、右の使用者には当たらず、これを名宛人として救済命令を発することは許されないし(最高裁判所昭和六〇年七月一九日判決参照)。したがって、会社の一構成部分にすぎない名古屋支店に対して救済命令を発した本件命令は、労働組合法二七条、七条の解釈を誤った違法なものである。

3  会社の団体交渉の態度について

会社の昭和五三年度年末一時金に関する名古屋支部との団体交渉の態度には、何ら不誠実な点はなく、これを不当労働行為に当たるとした本件命令には、次の(一)ないし(四)のとおり、事実の認定及び判断を誤った違法があり、また、(五)のとおり、救済方法について労働委員会の裁量の範囲を逸脱した違法がある。

(一) 被告は、昭和五三年度年末一時金に関する名古屋支部との第一回団体交渉が遅れたことを、会社が敢えて遅らせたものと認定しているが、右の遅れは、(二)に述べるとおり、名古屋支部が出席を要求する会社の団体交渉要員の都合がつかなかったことが原因であって、右認定は誤りである。名古屋支部との団体交渉の実態を見ても、昭和五三年度年末一時金に関する交渉時のように遅延したのは、それが最初で最後であって、しかも、同一組合である大阪支部との間には、名古屋支部と第一回団体交渉を行うまでの間に二回にわたり通常に団体交渉を行っているのである。そして、その時に限り、名古屋支部についてのみ団体交渉の開催を遅延させなければならない事情はなかったのである。これらは、会社の不当労働行為意思の存在を推認せしめない事情にほかならない。

(二) 名古屋支部との団体交渉の開催が遅延したのは、次のような事情によるものである(この項及び(四)において、特に断らない限り、月日はいずれも昭和五三年のものである。)。

(1) 名古屋支店の当時の団体交渉要員は九名であったが、会社は、そのうち六、七名が出席できなければ団体交渉を開催し得ないとしており、また、従前からその程度の人員が出席していた。そして、当時、名古屋支部との団体交渉が開始されるのは午後六時三〇分ころからとなっていたが、会社は、それに先立って、当日の午後三時ころから交渉議題等について打合せをすることとなっていたから、団体交渉の開催期日を決定するに当たっては、団体交渉要員の午後三時以降の都合が勘案されていた。

ところで、一一月当時、名古屋支店の業績は悪化の一途をたどっていた。そこで、名古屋支店では、支店長、支店次長をはじめ、団体交渉要員を含む役職者らは、会社が一一月に策定した長期五か年計画を受け、受注高の回復を図るべく対外折衝等に奔走して極めて多忙であり、一一月一四日から同月二一日までは、団体交渉要員にそれぞれ業務予定があり、右六、七名の団体交渉要員が団体交渉に出席することはできなかった。会社が名古屋支部との団体交渉の開催を無視していたものでないのは、勿論のことであって、現に同月一五日の事務折衝の際に、「出席可能な団体交渉要員のみでよければ、いつでも団体交渉を行う」旨述べているのである。これに名古屋支部が応じなかったため、第一回団体交渉が一一月二二日となったのである。

(2) 名古屋支部は、名古屋支店長の団体交渉への出席を強く求め、これに固執していたため、会社は、その要求に応じきれずにいた。一方、名古屋支部執行委員長の倉知正美は、一一月一三日から一八日まで連続して欠勤し、また、一一月二二日の団体交渉開催を受諾した同月二〇日になってはじめて、団体交渉の遅延を理由とした争議行為を通知してくるなど、名古屋支部にも、ある程度までは団体交渉が遅れてもやむなしとする様子があった。

(三) 被告補助参加人は、団体交渉開催要求提出日から第一回団体交渉開催日までに相当の日数を要している上、銭高組労働組合(以下「銭労」という。)との第一回団体交渉開催日と名古屋支部とのそれに差があるとして、会社は、常に名古屋支部との団体交渉を不当に遅延させているという。

しかし、会社には、労働組合として銭労と被告補助参加人の大阪支部及び名古屋支部があって、会社は、給与改定、一時金の支給については、これら労働組合と団体交渉を行い、労働協約を締結してこれを実施している。そして、銭労及び大阪支部との団体交渉は、大阪において行われ、名古屋支部との団体交渉は、名古屋において行われるという関係にあったため、団体交渉の開催日時についてある程度の差が生ずるのはやむを得ないところであった。しかも、銭労は、会社の従業員約二七〇〇名中の約二〇〇〇名をもって構成されているのに対し、名古屋支部は、初審命令の認定によると約二五名によって構成されているにすぎないのであるから、賃金改定や一時金など全従業員に影響を及ぼす事項については、圧倒的多数の従業員をもって組織される銭労との交渉をある程度優先させたとしても、合理的な差別であって、不当ということはできない。

(四) 被告は、会社が名古屋支部に対し、銭労への回答と同一内容を電話連絡したことを、名古屋支部を軽視した不誠実なものであるという。

しかし、電話連絡をしたことは、逆に名古屋支部に対する誠実さの表れであって、名古屋支部も、本件救済の申立までは、それが不当であるという主張をしたことはなかった。すなわち、会社としては、圧倒的多数の従業員をもって組織される銭労との団体交渉の席上で回答提示の要求があれば、回答をせざるを得ないのであるが、このようにして銭労に回答したときは、これを名古屋支部に直ちに示さないことは不公平であると考え、団体交渉を開催することはできなくとも連絡はすべきであるとして、大阪からの連絡があり次第、電話連絡をしていたのである。

なお、一一月一七日の名古屋支部に対する連絡が午後一一時ころになったのは、銭労に対する回答が大阪からの連絡先である七條部長宅に伝えられた際、たまたま七條部長が所用で外出中であったことによるもので、故意に連絡を遅延させたものではない。また、銭労組合員の平均で示された回答を電話連絡したのは、銭労組合員の平均は、組合員資格を有する従業員の平均とほぼ同じであって、これを示せば上積みの概略が予想されるという考えによるもので、従前から行っていたものである。

(五) 以上のとおり、会社の昭和五三年度年末一時金に関する名古屋支部との交渉態度は、何ら不当労働行為に当たるものではないが、仮に、これが不当労働行為に当たるとしても、会社が右のような交渉態度をとったのは、そのとき限りであるから、本件命令のようないわゆる抽象的不作為命令を発することは、労働委員会の裁量権の範囲を逸脱し、違法である。

3  菊地に対する賃金差別について

菊地の昭和五三年度の本給を一七万一九〇〇円と定めたことを労働組合法七条一号の不当労働行為に当たるとした本件命令は、次の(一)ないし(四)に述べるとおり、事実の認定、労働組合法の解釈、適用を誤った違法なものである。

(一) 被告は、昭和五三年度の賃金協定(以下「本件協定」という。)締結時には会社主張の賃金体系の存在が明らかでなく、菊地は、同人の資格が六級であることとその後に三三歳の者の本給が一七万九九〇〇円であることを知っていただけであること、菊地の六級昇格が遅れた理由として会社のあげる九項目については、その疎明がないこと、会社は菊地の組合活動を嫌悪して昭和五三年度の本給を一七万一九〇〇円と定めたこと、以上の理由をあげて、菊地の昭和五三年度の賃金を三三歳六級の標準者の考課幅を加えない一七万九九〇〇円に是正するよう命じている。

しかし、右のような事情があれば、そして、本件命令にいう「賃金協定及びその後方の確認に基づけば」、何故に会社は菊地に対し一七万九九〇〇円を支払うこととなるのかが明らかではない。

(二) 被告の判断は、不当労働行為の成否とは関係なしに、本件協定そのものの解釈をしたもので、被告の権限に属さないものである。このことは、菊地の賃金問題が会社と名古屋支部との間では当初から本件協定違反の問題として捉えられ、初審申立においても、当初は「菊地忠義の基本給査定につき、昭和五三年六月一五日に締結した労働協約に規定するプラス・マイナス一・八八%内に是正し、昭和五三年三月より是正の日までに菊地忠義が受けるべき基本給、時間外手当、一時金の差額を支払わなければならない。」との内容の救済、すなわち、本件協定の履行そのものを求めるものであったことからも明らかである。

そして、銭労の組合員中にも昭和五三年度の本給を賃金協定の定める考課幅を超えて低く決定された者がいるが、被告の判断によると、これらの者についても賃金協定違反として救済されるということになるはずである。このように被告の判断は、不当労働行為の成否とは関係なしに機能するものであって、本来、労働委員会の権限には属さないものである。

(三) 被告は、本件協定の解釈も誤っている。

会社の賃金制度及び菊地の昭和五三年度の本給を一七万一九〇〇円と定めた経緯は、おおむね、被告が別紙2命令書の「第2 当委員会の判断」の3(1)アないしエにおいて要約しているとおりである。

会社は、昭和四九年以降、右のようなシステムに従って各年の従業員の本給を定めてきた。そして、昭和五一年以降は、各労働組合との間で賃金協定を締結した上で、従業員の賃金改定を実施してきたが、昭和五四年七月まで賃金体系を明らかにできなかったため、昭和五四年までの協定では、定期入社標準者について本人給と資格給の合算額たる本給でモデル賃金を例示するとともに、考課幅を明らかにしてきた。このように、賃金協定が定期入社標準者にのみ適用されるものであることは、当然の前提とされていた。

定期入社標準者以外の従業員にも賃金協定が適用になるとすると、銭労の組合員や大阪支部の組合員には、所定の考課幅の最下限を超えて本給を定められた結果となる者が昭和五一年から昭和五四年までの間に菊地を含めて六九名に達するが、会社は、菊地以外の者については、銭労や大阪支部から抗議を受けたことはない。このことは、銭労や大阪支部が、賃金協定が定期入社標準者以外の者には適用されないことを了承していたことを示すものである。

なお、仮に、名古屋支部が、定期入社標準者以外の者にも適用されるとの考えのもとに本件協定を締結したものとすれば、会社との間に意思の合致がないことになり、本件協定は法律的に無効とならざるを得ないから、そもそも協定の存在を前提とする本件命令の判断は誤りであることになる。

(四) 仮に、本件協定が被告の判断のとおり解釈されるべきであるとしても、会社は、菊地の昭和五三年度の本給額については、本件協定が適用されるのは定期入社標準者のみであるとの考えに立って、会社の賃金表の定めるところに従って、その資格給を六給三号俸に昇格させるとともに、考課幅も標準賃率を適用して決定したのであるから、その決定については何ら不当労働行為意思はない。

前記のとおり、所定の考課幅の最下限を超えて本給を定められた者が、昭和五一年から昭和五四年までの間に菊地を含めて合計六九名に達していることは、菊地との関係においても会社に不当労働行為意思がなかったことを示している。

五  被告補助参加人の主張

1  当事者適格について

原告らは、本件命令が名古屋支店をも名宛人としていることについて、労働組合法二七条の解釈適用を誤った違法があり、取消を免れないと主張する。

しかし、原告らがその論拠として引用する最高裁判決は、法人の組織の構成部分にすぎないものは、法律上独立した権利義務の主体ではないから労働組合法二七条の使用者に当たらないことを認めてはいるものの、右構成部分を名宛人とする救済命令が発せられたときは、実質的には右構成部分を含む当該法人を名宛人とし、これに対して命令の内容を実現することを義務付ける趣旨のものと解すべきであると判示している。この判決の趣旨からすると、名古屋支店に対する命令部分を取り消す必要はなく、むしろ、原告名古屋支店の訴えは、却下されるべきものである。

2  会社の交渉態度について(この項において、特に断らない限り、月日はいずれも昭和五三年のものである。)。

(一) 団体交渉の開催期日の遅延は、昭和五三年度年末一時金に関する交渉の時だけではない。団体交渉の申入れから第一回交渉まで二三日も要し、しかも、銭労との第一回団体交渉と比べても八日も遅れたのは、右年末一時金に関する交渉の際だけであるが、しかし、昭和五一年から昭和五七年までの間において、名古屋支部との団体交渉は、一回を除き、ことごとく銭労との団体交渉に比べ遅らされていたのである。

その状況は、次のとおりである。

(交渉事項) (申入日からの経過日数) (銭労からの遅延日数)

五一年賃上げ 四〇日 五日

五一年夏一時金 一三日 二日

五一年冬一時金 一七日 五日

五二年賃上げ 三二日 三日

五二年夏一時金 一九日 二日

五二年冬一時金 一八日 〇日

五三年賃上げ 三一日 二日

五三年夏一時金 一〇日 銭労との比較不能

五三年冬一時金 二三日 八日

五四年賃上げ 三八日 二日

五四年夏一時金 一〇日 二日

五四年冬一時金 八日 一日

五五年賃上げ 三〇日 一日

五五年夏一時金 二〇日 三日

五五年冬一時金 一二日 一日

五六年賃上げ 三一日 一日

五六年夏一時金 一八日 四日

五六年冬一時金 一二日 一日

五七年賃上げ 三〇日 一日

(二) 右の表によると、昭和五四年夏の一時金に関する団体交渉以降は、遅延日数が、若干少なくなっているようにも見受けられる。しかし、これは、被告補助参加人が、昭和五四年三月二九日、愛知県地方労働委員会に対し本件救済の申立をしたため、手控えたからにすぎない。それでも、名古屋支部との団体交渉は、銭労との団体交渉と比較すると一日以上遅らされているのであって、これは会社の方針に基づく不当労働行為である。すなわち、会社は、銭労の組合員が名古屋支部や大阪支部の組合員に比べて多数であることから、大阪支部及び名古屋支部の回答指定日・団体交渉指定日がどうであれ、会社の回答は銭労の回答指定日に行うこと、団体交渉も銭労とはその指定日に行い、名古屋支部との団体交渉は、銭労との団体交渉後に行い、しかも、銭労に対する回答以上の回答は行わないこと、以上を会社の絶対的方針としていたものであって、名古屋支部に対する差別扱いにほかならない。

なお、原告らは、名古屋支部と同一組合である大阪支部とは、通常に団体交渉を行っていたとし、これをもって不当労働行為意思の存在を推認せしめない事情と主張しているが、大阪支部との団体交渉も銭労とのそれに比して遅れているのであって、到底、通常に団体交渉を行っていたとはいえない。

(三) 原告らは、昭和五三年度の年末一時金について名古屋支部との団体交渉が遅れたのは、会社の団体交渉要員の都合がつかなかったからであると主張する。そして、その前提として、団体交渉には六、七名の団体交渉要員が出席していたこと、団体交渉の開始は午後六時三〇分ころからであったこと、交渉当日の午後三時ころから団体交渉要員間で交渉議題についての打合せを行うこととなっていたこと、土曜日及び日曜日には開催しないことという慣行の存在を主張している。

しかし、右のような慣行は存在しなかったし、仮に右程度の慣行があったとしても、そのために要員の都合がつかず団体交渉が大幅に遅れるのであれば、慣行を変更するのが当然である。慣行に固執する理由はないし、仮にこれを変更するのが困難な事情が真実あったとしても、それを名古屋支部に説明し了解を得るべきであるのに、そのような説明も協議もなかった。

また、原告らは、名古屋支店の役職者ら団体交渉要員は、業務上多忙であって、一一月一四日から二一日までは、団体交渉に出席する時間的都合がつかなかったと主張する。しかし、原告らの主張するところによっても、団体交渉要員の一一月一四日から二一日までの都合なるものは、実際に第一回の団体交渉が行われた一一月二二日の都合と大差のあるものではない。また、右一一月二二日の都合は、名古屋支店が一一月一七日付けで交付した一一月二二日の団体交渉要員の都合とも矛盾するのであって、原告らの主張する都合そのものがでたらめである。

(四) 原告らは、名古屋支部が支店長の団体交渉への出席に固執していたとし、これを団体交渉の開催が遅れたことの理由として主張する。

名古屋支部が支店長の出席を強く要求したが、支店長の出席がなければ団体交渉を行わなくともよいなどというはずはない。現に、本件命令が指摘するとおり、支店長の出席しない団体交渉にも応じており、かえって、原告らが支店長の出席要求に藉口して団体交渉を遅延させてきたのである。このことは、支店長の都合を理由に変更された団体交渉期日にその支店長が三回連続して欠席した例があることによっても明らかである。

なお、名古屋支部が、一一月二〇日になってから「時間外拒否及び休日出勤拒否通告書」を出して抗議の争議行為を行ったのは、原告らの団体交渉引延し、銭労との差別扱いが目に余ることなどに抗議したものであって、それ以外の意味はないし、たまたま、支部執行委員長が病気欠勤していたからといって、団体交渉引延しを容認することなどあり得ない。

(五) 名古屋支店の電話回答も、不誠実な対応の一要素である。

すなわち、原告らが銭労との団体交渉を先行させ上積み回答をしながら、名古屋支部に対しては回答(文書)しないため、やむをえず「電話ぐらいすべき」と要求した結果されているのが電話回答である。その電話回答も、二回にわたって午後一一時すぎにされたため、翌日のビラ配付には間に合わず、また、一一月二〇日のものはわざわざ銭労組合員平均で示されていたため、名古屋支部に対する回答としては意味のないものであった。

(六) 原告らは、本件命令の主文第1項は、いわゆる抽象的不作為命令であるところ、その許されるべき場合に当たらないから違法であると主張する。

しかし、前(一)において述べたとおり、原告らは名古屋支部との団体交渉において一貫して不誠実な態度をとっており、それが将来も繰り返されるおそれが多分にあったから(現実に繰り返されている。)、本件命令に原告ら主張のような違法はない。

3  菊地に対する賃金差別について

(一) 原告らは、本件命令は、不当労働行為の成否とは関係なく本件協定の解釈をするという、本来被告の権限に属さないことをしたものであって、その点において違法である旨主張する。

しかし、被告補助参加人は、会社が菊地の昭和五三年度の本給について労働協約たる本件協定に反して低く決定したことを不利益取扱いの不当労働行為と主張しているのであるから、被告がその前提として本件協定の内容について判断することは当然である。

(二)(1) ところで、本件協定は、労働協約の一つであるから、その内容を確定するには、労働協約を締結する社会的・経済的目的、とくに団結権、団体行動権の保障のもとで複数の労働者の労働条件を一律的・集団的に決定し、処理することが労働者及び使用者双方にとって意義のあることが重視されるべきことはいうまでもない。しかし、他方、本件協定は、法律行為の一つである以上、その内容を確定するには、当事者の内心的な効果意思ではなく、それに表現された表示行為に即して、当事者の達成しようとした目的、信義誠実の原則、条理等を総合的に勘案する必要があることもいうまでもない。

(2) このような観点に立ってみると、本件協定は、名古屋支部に属する全組合員を対象としたものであり、かつ、協定にいう「定期入社標準者」とは、定期に入社した社員であって考課査定により標準的ないしは中位に位置するとされた者を指す、と解するのが最も合理的である。

すなわち、まず、本件協定は名古屋支部に組織される全組合員の労働条件を一括して定めることを目的とした労働協約であり、しかも、その表示行為には菊地を除外する旨は表現されていないのであるから、右協定がひとり菊地に対しては適用されないなどと解することはできない。このことは、労働協約締結の社会的・経済的目的からしても疑問のないところである。

また、本件協定の表示行為と、これに伴う交渉の内容、従前における協約や労使間の折衝等を総合するときは、「定期入社標準者」を定期に入社した社員であって標準的に昇格してきた社員を指すなどと解することは到底できないのであって、原告らの主張は、内心的な効果意思に基づいて本件協定の内容を確定しようとするもので、失当である。

(3) 右のように、本件協定は菊地にも適用があり、かつ、菊地には能力及び業績の上でとくに考課幅を超えて低く査定されなければならない特別の事情はないから、会社が名古屋支部に対し本件で問題とされた団体交渉拒否をはじめ様々な不当労働行為を行ってきたことを併せ考えると、会社がした菊地の昭和五三年度の本給の決定が不当労働行為に当たることは明らかである。

(三) なお、原告らは、菊地以外にも考課幅を超えて査定された者が少なからず存在するというが、その具体的な氏名、所属部署などは全く明らかにされていないので、実際にそのような者がいることの認定は不可能である。仮に、そのような者がいるとしても、その能力、技能、業績が菊地と比較してどうかについて何ら立証もないから、不当労働行為性を打ち消す事情とはなし得ない。

第三証拠《省略》

理由

第一原告名古屋支店の訴えについて

民事訴訟法は、訴訟当事者能力を有する者を原則として民法上の権利能力を有する者に限っており、権利能力のない者が訴訟当事者能力を認められるのは、その旨を明らかにした法律の規定があるときに限られる。ところで、弁論の全趣旨によると、原告名古屋支店は、法人たる原告会社の一部を構成する組織にすぎないことが認められ、それ自体として権利能力がなく、また、民事訴訟法四六条にいう「法人ニ非サル社団又ハ財団ニシテ代表者又ハ管理人ノ定アルモノ」でもないことが明らかである。そして、法人の一部を構成する組織について訴訟当事者能力を認める法律の規定はないから、原告名古屋支店は、訴訟当事者能力を有しないということができる。

したがって、原告名古屋支店の、本件命令中自己を名宛人とする部分の取消を求める訴えは、不適法として却下を免れない。

第二原告会社の請求について

一  請求原因事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件命令の適法性について判断する。

1  本件命令が名古屋支店をも名宛人としている点について

原告会社は、本件命令が名古屋支店をも名宛人としていることについて、右は労働組合法二七条及び七条の規定にいう使用者に当たらない者を名宛人とする点で違法であると主張する。

労働組合法二七条の規定によって救済命令の名宛人とされる「使用者」は、不当労働行為の禁止を定めた同法七条の規定にいう「使用者」であって、法律上独立した権利義務の主体であることを要するというべきであるから、法律上独立した権利義務の帰属主体でない法人の組織の構成部分は、右の「使用者」には当たらず、これを名宛人として救済命令を発することは許されない。しかし、右のような法人組織の構成部分を名宛人として救済命令が発せられたときは、その救済命令は、実質的には右構成部分を含む当該法人を名宛人とし、これに対して命令の内容を実現することを義務付ける趣旨のものと解するのが相当である。なぜならば、合理的解釈が可能な範囲内でできるだけ救済命令を適法有効なものと解することが不当労働行為救済制度の趣旨・目的にそうところであり、当該構成部分を含む法人組織において右の使用者に当たる者は当該法人以外にはないから、救済命令の名宛人となる者は当該法人以外には考えられず、また、右構成部分は法人組織に含まれるもので両者は全体と部分の関係にあるからである(最高裁昭和六〇年七月一九日第三小法廷判決・民集三九巻五号一二六六頁参照)。

そうすると、前認定のとおり、名古屋支店は、原告会社の組織の一構成部分にすぎないのであるから、本件命令が、名古屋支店をも名宛人としている部分は、労働組合法二七条、七条にいう使用者には当たらない者を名宛人とした過誤を犯していることになるが、それは表示上の名宛人を名古屋支店と表示しているだけであって、実質的には原告会社を名宛人とし、これに対して救済命令の内容を実現するように義務付けたものと解釈することができる。したがって、本件命令が名古屋支店を名宛人としたからといって、本件命令を取り消すほどの違法があるとはいえない。

2  団体交渉の態度について(この項では、特に断らない限り、月日はいずれも昭和五三年のものである。)

(一) 次の(1)ないし(12)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(1) 原告会社は、建設工事の請負、企画、設計及び監理等を業とするものであって、肩書地に本店を、東京及び大阪に支社を、東京、名古屋など全国一三箇所に支店を置き、その従業員は、昭和五四年三月二九日当時、約二七〇〇名であり、そのうち名古屋支店に勤務する者は、約三〇〇名であった。

(2) 会社内には、銭労、補助参加人の名古屋支部及び大阪支部の各組合があるが、そのうち銭労の組合員は、昭和五四年三月二九日当時、約二〇〇〇名で、名古屋支店に勤務する同組合の組合員は約二三〇名であった。なお、銭労は、昭和五〇年二月二二日から三月二六日までの間に、会社の本店及び各支店に結成された七労働組合が、同年六月九日に統合結成された組合である。

(3) 名古屋支部は、本件より先の昭和五〇年一一月二六日、会社に対し、要求事項について、①文書で速やかに回答すること、②文書回答によると遅れる場合は組合役員に口頭で回答すること、③口頭による同時回答ができない場合は組合役員に電話で回答すること、④就業時間外において回答が出される場合でも組合役員に電話で回答すること等の方法により、銭労と同時に回答することを申し入れていた。

(4) 名古屋支部は、一〇月三〇日、年末一時金についての要求書及び団体交渉申入書(開催期日一一月八日)を会社に提出した。これに対し、会社は、回答指定日である同年一一月七日、名古屋支店長名で現在検討中である旨を文書回答し、その際、名古屋支部は、早急に団体交渉を開催するよう七條部長に要求した。

(5) 会社と名古屋支部との団体交渉は、従前から、名古屋において名古屋支店所属の会社側交渉委員と名古屋支部の交渉委員との間で午後六時三〇分ころから行われていた。

(6) 銭労は、一一月一日、年末一時金に関する要求書及び団体交渉申入書を会社に提出した。会社は、回答指定日である同月一四日、銭労に対し第一次有額回答をするとともに、大阪において銭労との第一回団体交渉を開催した。

会社は、その後、同月一七日及び二〇日、それぞれ、銭労との間でその要求期日どおりに年末一時金について団体交渉を行い、その際、第二次及び第三次の有額回答を行った。

(7) 会社は、一一月一四日、名古屋支部に対しても、第一次有額回答をしたが、団体交渉を開催しなかった。そこで、名古屋支部は、同日、団体交渉を早急に開催するよう重ねて要求したところ、七條部長は、会社側交渉委員の都合もあるので、明日返事したい旨述べ、同月一五日、名古屋支部に対し、支店長の団体交渉出席について調整してみたが、結局、都合がつかず本日まで過ぎてしまったと団体交渉期日が延びた理由を説明し、更に、支店長は出席できないが、同月二〇日か二二日には団体交渉に応じる予定であり、いずれにするかは後日通知すると述べた。それに対し、名古屋支部は、支店長が団体交渉に出席することを強く求めたが、七條部長は、支店長の都合がつかない旨を述べた。

(8) 名古屋支店長は、従前の団体交渉にもたびたび欠席していたか、名古屋支部は、支店長の出席しない団体交渉にも応じてきた。

(9) 名古屋支店長は、一一月一七日、名古屋支部に対し、年末一時金についての第一回団体交渉を同月二二日に開催する旨回答した。この回答には、会社側の交渉委員として支店長名が記載されていなかった。

(10) 会社は、一一月二二日、名古屋支部と第一回の団体交渉を行ったが、その際、名古屋支部が、同月二〇日に電話により通知された回答額は銭労組合員の平均額によって示されているから名古屋支部に対する回答にはなっていないとしたため、右団体交渉は、同月一七日の電話による回答をめぐって行われ、会社は、同月二四日に改めて回答を示したいとした。なお、名古屋支店長は、この団体交渉に出席しなかった。

(11) 会社は、一一月二四日、名古屋支部及び銭労に対し、同一内容の有額回答を行った。また、名古屋支部に対しては、名古屋支店採用の傭員の年末一時金についての第一次回答を併せて行った。

(12) 名古屋支店長は、一一月二七日、名古屋支部に対し、第二回団体交渉を同月三〇日に行う旨通知するとともに、傭員の年末一時金に関し、第一次回答に若干の上積みをした第二次回答を行った。

(二) 《証拠省略》によれば、次の(1)ないし(10)の事実を認めることができる(《証拠判断省略》)。

(1) 被告補助参加人は、全国の建設関係労働者、失対労働者等で組織する労働組合であり、その下部組織の一として、会社の名古屋支店で勤務する従業員で組織する名古屋支部があり、その組合員数は、昭和五四年三月二九日現在二五名であった。

なお、名古屋支部の組合員中には、名古屋支店が独自に採用した傭員も含まれており、傭員の賃金、一時金は、名古屋支店が独自に決定することができるものであった。

(2) 会社は、毎年の一時金や賃上げについての団体交渉は、まず銭労との間で行い、その結果を踏まえて、名古屋支部との間で行うこととしていた。これは、賃金や一時金については、全従業員について同一の基準によるのが相当であるとの考え方のもとに、団体交渉における回答に矛盾が生じては困ること、従業員の圧倒的多数を占める銭労の持つ力を無視することができず、これとの団体交渉を行ってある程度の見通しをつけなければ名古屋支部との団体交渉を行うことも困難であるという考え方に基づくものである。

そこで、名古屋支店において、名古屋支部との団体交渉の日程を設定する場合には、銭労との団体交渉の日程を基準にそれよりも遅い日を設定してきた。もっとも、昭和五〇年の団体交渉においては、名古屋支部との団体交渉が銭労との団体交渉と同一期日に行われた。また、団体交渉においても、銭労との団体交渉における回答と異なる回答はしないこととしていた。

銭労及び名古屋支部との賃上げ及び一時金に関する第一回団体交渉の開催日時は、次のとおりである。

(年度及び交渉事項) (名古屋支部との交渉日) (銭労との交渉日)

五〇年夏季一時金 六月二〇日 六月二〇日

五一年賃上げ 四月一四日 四月九日

夏季一時金 六月二四日 六月二二日

年末一時金 一一月一五日 一一月一〇日

五二年賃上げ 四月八日 四月五日

夏季一時金 六月二三日 六月二一日

年末一時金 一一月一五日 一一月一五日

五三年賃上げ 四月一四日 四月一二日

夏季一時金 六月一日 四月一二日

年末一時金 一一月二二日 一一月一四日

五四年賃上げ 四月一二日 四月一〇日

夏季一時金 六月一日 五月三一日

年末一時金 一一月九日 一一月八日

五五年賃上げ 四月九日 四月八日

夏季一時金 六月二日 五月三〇日

年末一時金 一一月一二日 一一月一一日

五六年賃上げ 四月一〇日 四月九日

夏季一時金 六月五日 六月一日

年末一時金 一一月一一日 一一月一〇日

五七年賃上げ 四月九日 四月八日

夏季一時金 六月一日 五月三一日

なお、昭和五三年の夏季一時金については、銭労が、賃上げの要求と同時に夏季一時金についての要求をも行い、双方について同時に団体交渉を行ったのに対し、名古屋支部が、賃上げの妥結後に、改めて夏季一時金についての要求を行い、別個に団体交渉を行ったため、団体交渉の日時に大きな差が生じたものである。また、昭和五五年の夏季一時金については、銭労が、第一回の団体交渉の際、回答の受取り及び当日交渉を行うことを拒否したことから、会社は、その三日後に予定されていた名古屋支部との団体交渉においては、銭労との間で団体交渉が行われていないことを理由に、夏季一時金についての実質的な交渉を行わなかった。

(3) 名古屋支店においては、一一月当時、賃上げや一時金についての名古屋支部との団体交渉要員を支店長、支店次長、業務部長、建築部長、土木部長、建築工務部長代理、経理部次長、支店長付及び業務部庶務課長としており、そのうち五名は出席して団体交渉を行いたいとしていた(《証拠判断省略》)。また、従前の名古屋支部との団体交渉は、午後六時半ころから午後八時ころまでの時間に行われており、交渉当日の午後三時半ころからは、それ以前の銭労との団体交渉の経過、結果を踏まえて団体交渉に出席する要員間で打合せを行っていた。就業時間内や土曜日に団体交渉を行ったことはなかった。

なお、昭和五三年当時は、週休二日制は採用されておらず、土曜日に、月一回交替で勤務しなくてもよいとされていたにとどまった。

また、会社は、名古屋支部との団体交渉の終了時間は午後八時とし、この時間になったときは団体交渉を終了していたが、銭労とは、午後六時半ころから開始し、おおむね、午後九時ないしは午後一〇時ころまで行い、ときにはこれが深夜に及ぶこともあり、翌朝午前四時ころまでになったこともあった。

(4) 名古屋支店においては、名古屋支部から団体交渉の申入れを受けると、業務部庶務課長が開催期日の原案を立て、業務部長がこれに基づいて団体交渉要員間の日程の調整を行うこととなっていた。また、毎週金曜日の朝、各部門長の翌週の日程を調整し、これを確定することとされていた(したがって、一一月一〇日に一三日から一八日までの予定が確定された。)。

(5) 会社は、一一月二日までに、銭労との昭和五三年度年末一時金についての第一回団体交渉期日を一一月一四日とすることを決定し、このことは、同月七日ころまでには名古屋支店にも、本社から連絡された。

そこで、名古屋支店の業務部庶務課長であった高野俊一(以下「高野課長」という。)は、名古屋支部との第一回団体交渉期日を同月一五日か一六日とする原案を立て、これを七條部長に提案した。

(6) 名古屋支店の団体交渉要員は、一一月一四日から一八日にかけて次のような業務に従事した。

一四日(火曜日) 支店長、支店次長及び建築部長は、名藤レンボービルの竣工式(その場所及び時間は不明)に出席し、夜は取引先を接待した。土木部長は、東京に出張し同所で宿泊した。

一五日(水曜日) 支店長は、名古屋に支店を置く建設業五社の支店長会に出席した(その時間は不明)。支店次長は、朝から中部建設業協会に出席した(終了時間不明)。土木部長は、新潟に宿泊を伴う出張をし、経理部次長は大阪本社に出張した(名古屋に帰った時間は不明)。

一六日(木曜日) 支店長、業務部長、建築部長、建築工務部長代理、庶務課長は、午後一時三〇分ころから安全衛生委員会に出席した。この安全衛生委員会は、名古屋支店に勤務する者のみで構成され、通常は午後五時一五分には終了することとなっていたが、延びることも稀ではなかった。支店次長は、中部建設業協会の総会に朝から出席した(終了時間は不明)。土木部長は、午後八時五〇分まで東京に出張していた。

一七日(金曜日) 支店長は、午前六時四〇分から午後二時一〇分まで大阪本社に出張し、夜は取引先を接待した。支店次長は、午前八時から午後七時五一分前まで高山に出張した。建築部長は、夜は支店長とともに取引先を接待した。土木部長は、午後三時から名古屋地下鉄運営委員会に出席し、支店長付は、年次有給休暇を取得していた。

一八日(土曜日) 支店長、支店次長、業務部長及び庶務課長は、午後三時から会社の元社員の会である若菜会の総会に出席した。

(7) 会社は、一一月一七日にした前記(一)(9)の回答において、支店次長が同月二二日の団体交渉に出席する旨回答していたが、支店次長は、同日は富山に宿泊を伴う出張をしたため団体交渉には出席しなかった。この出張は、急に入ったもので、一一月一七日の回答時には、支店次長の日程には予定されていなかった。

(8) 会社は、前(一)(3)説示の申入れを名古屋支部から受けていたため、大阪において会社と銭労との団体交渉が行われ、その場で銭労に対して回答をしたときは、団体交渉終了後これを名古屋支部にも連絡することとしていた。この連絡は、本社から名古屋支店の七條部長又は高野課長のいずれかその日の当番に電話でされ、これを受けた七條部長又は高野課長が、名古屋支部の役員に電話で連絡をすることとなっていた。名古屋支部でも、この連絡がされることを予定して、銭労との団体交渉が行われる日には、午後九時ころまでは組合事務所に待機することとしていた。

(9) 会社は、一一月一七日、銭労との第二回団体交渉を行い、その場で、会社の一一月一四日の回答に上積みをした回答をした。この回答は、年齢の従業員のモデル一時金額を示したもの(いわゆるポイント別回答)である。

七條部長は、同日、午後一一時ころ、右の回答がされたことを名古屋支部の延命副委員長に電話連絡した。

名古屋支部に対する連絡が遅れたのは、本社の担当者が七條部長に電話連絡しようとした際には七條部長は外出しており、外出先から戻ってから改めて本社担当者と電話連絡をとり、その後名古屋支部に連絡したためであった。また、会社は、右電話連絡以外には、右回答に相当する回答を名古屋支部に行っていない。

(10) 会社は、一一月二〇日、銭労と第二回の団体交渉を行い、その場で、第三次の回答をした。この回答は、銭労組合員の平均で示されたものである。

会社は、右回答についても、同日夜、高野課長を通じて名古屋支部に電話連絡したが、その後、一一月二四日に銭労に対してと同時にポイント別回答をするまで、右の回答内容を名古屋支部の組合員にも当てはまる方法で回答することはしなかった。

(三) 右(一)及び(二)の事実をもとに、昭和五三年度年末一時金についての第一回団体交渉が遅くなったことが不当労働行為となるか否かについて判断する。

名古屋支店の担当者は、一一月七日ころまでには、昭和五三年度の年末一時金について、一一月一四日に各組合に対して回答がされ、銭労とは即日に第一回団体交渉が行われることを知っており、そのため、高野課長は、同月一五日又は一六日を第一回団体交渉期日とする原案を作成して七條部長に提案し、他方、同月一〇日に名古屋支店の支店長以下の同月一二日から一八日までの日程が確定されたというのであるから、名古屋支店としては、支店長以下の右日程が確定する同月一〇日までに、そうでないとしても、銭労との第一回団体交渉が開催される同月一四日までに、名古屋支部との団体交渉に出席する団体交渉要員の日程の調整をする必要があったというべきである。しかるに、名古屋支部に対して一一月一四日に回答したときには、同日が銭労との第一回団体交渉期日であるのに、いまだ日程の調整を行っておらず、同日においてさえ、団体交渉の期日を提示し得なかったというのであるから、そのこと自体、名古屋支部との間では誠実に団体交渉を行う意思がないことの表れと評価されてもやむを得ないものである。

なるほど、前(二)(6)認定のとおり、名古屋支店の団体交渉要員、とりわけ支店長及び支店次長は、一一月一四日から同月一八日までは、種々の業務に従事しており、支店長も含めて五名程度以上の団体交渉要員が出席して、午後三時三〇分ころから打合せを行った上、午後六時半ころから午後八時まで団体交渉を行うことができた日は、一見すると、一五日のみのようである(一五日については、支店長の出席した五社支店長会が開催された時間及び支店次長の出席した中部建設業協会の終了時間を明らかにした証拠はなく、また、《証拠省略》によると、他の団体交渉要員中五名については特段の業務は予定されていなかったことが認められるから、同日については、団体交渉を行うことが不可能であったとは認められない。)。

しかし、右認定の一一月一四日から一八日までの業務のすべてが、銭労との第一回団体交渉の開催が連絡された同月七日以前から予定されていたものであることはもとより、その日程、出席者を変更することが困難なものであったことを認めるに足りる証拠はないし(例えば、《証拠省略》によると、支店長、支店次長及び建築部長は、それぞれ分担して、地鎮祭や落成式に参加したことのあることが認められるから、一四日の名藤レンボービル竣工式やその夜の接待に支店長、支店次長及び建築部長の三名ともの出席を要するものであったかどうかには疑問がある。また、同月一七日の支店長及び建築部長の接待については、それがいつから予定されていたのか、その日程を他に変更することが困難であったのかも明らかではない。同月一六日の安全衛生委員会についても、それが名古屋支店内部の会合であることからすると、その日程を変更することが困難であったのか、また、支店長、業務部長、建築部長及び建築工務部長代理の四名ともの出席を要するものであったかにも疑問がある。)、その調整を試みたことを窺わせる証拠もない。

のみならず、右認定のとおり、会社と名古屋支部との団体交渉は、午後六時半ころから午後八時までの一時間半程度しか行われていなかったのであるから、その開催を土曜日以外の午後六時半ころからとし、かつ、団体交渉に出席する要員間の打合せを当日の午後三時半ころから行うという従前の扱いに固執しなければ(例えば、団体交渉要員間での打合せは、交渉の議題及び回答の内容いかんによっては、短時間で足りる場合があり、特に最初の団体交渉で、しかも、回答案が予め本社から指示されているような場合には、その内容の確認程度で足りるというべきであるから、午後三時半ころからの打合せに固執する理由は全くない。)、一六日とか一八日に行うことも十分に可能であったというべきである。

しかるに、会社は、団体交渉要員の参加すべき業務及びその日程の調整を試みることも、また、団体交渉を土曜日以外の午後六時半ころから行い、当日の午後三時半ころから要員間の打合せを行うという従前の取扱いの変更の可能性についても検討することなく、銭労との第一回団体交渉が終わった後に、しかも、それから八日も遅れて、漫然と第一回団体交渉期日を指定したのであるから、名古屋支部との団体交渉を軽視したものというほかはない。

(四) ところで、会社は、出席可能な団体交渉要員でよければいつでも団体交渉を行う旨名古屋支部に申し入れたが、名古屋支部が支店長の交渉出席に固執したため、第一回団体交渉期日が遅くなったと主張し、また、名古屋支部にも、倉知委員長が一一月一三日から一八日まで欠勤していたり、同月二〇日にはじめて団体交渉の遅延に抗議する争議行為を行うことを通知するなど、団体交渉期日が遅れてもやむを得ないとする様子が窺えた旨主張する。

そして、《証拠省略》中には、一一月一五日の事務折衝の際、出られる者のみであればもっと早く団体交渉ができる旨名古屋支部に申し入れたが、名古屋支部が支店長の出席を強く主張した旨の七條勝巳の供述記載部分があり、《証拠省略》中には、出席の可能な団体交渉要員でならいつでもやるという話はしている旨の高野俊一の供述記載部分がある。

しかし、右部分は、前認定の一一月一七日に行った回答(団体交渉期日の指定)においても、結局は、支店長の出席できない日を指定し、名古屋支部もこれに応じていることに加えて、名古屋支部は従前も支店長の出席しない団体交渉にも応じてきた事実及び右七條の供述と反する《証拠省略》中の沢俊男の供述記載があることに照らし、採用できない。

また、《証拠省略》によると、名古屋支部の倉知委員長は、一一月一三日から一八日まで連続して欠勤し、また、同月二二日も欠勤していたことが認められる。しかし、右各証拠によると、右欠勤は、風邪又は下痢によるものであって、事前に予測されていたというものでもないことが認められるし、このことに加えて、名古屋支部は、倉知委員長が欠勤した一一月二二日に団体交渉を行っていること、名古屋支部は、一一月七日以降、早急に団体交渉を行うことを要求していた事実を併せると、倉知委員長が欠勤していたからといって名古屋支部が団体交渉の開催を急いでいなかったことの表れと解することはできない。また、同月二〇日にはじめて団体交渉遅延に抗議する争議行為を行う旨通知したことは、それ自体からして、名古屋支部が団体交渉を急いでいなかったことを窺わせる事情と解することはできない。

(五) 会社は、銭労は圧倒的多数の従業員が加入している労働組合であって、賃金や一時金という会社従業員が同一の基準によって決定しなければならない労働条件については、銭労との団体交渉を重視しせざるをえないから、ある程度これを優先することは合理的な差別である旨主張する。

賃金、一時金のような基本的な労働条件については、会社の全従業員に同一の基準が適用されて決定されることが、実際上は望ましいことである。そして、その決定が団体交渉を通じて行われる場合には、その過程では、会社の業績、組合の要求の強さ、ストライキ等の争議行為の行われる可能性、それによって会社の業務に及ぼす影響及び程度、賃金カットによって組合ないし組合員が受ける影響の程度などの諸々の要素が考慮される。したがって、現実の労使関係においては、圧倒的多数の従業員によって組織されている組合とごく少数の従業員によって組織されている組合とが存する場合に、多数組合の要求及びこれとの団体交渉をより重視せざるを得ないことがあることは、会社主張のとおりである。

しかし、《証拠省略》によると、会社は、名古屋支部及び銭労のいずれとも、一回の団体交渉のみで、賃上げや一時金について妥結した事実はないことが認められるから、最終的に妥結をする段階においては、銭労との団体交渉をある程度は優先せざるを得ないとしても、第一回団体交渉の開催については、右事情は妥当しない。すなわち、第一回団体交渉においては、まず会社の回答について説明を行い、これについて名古屋支部から質問を受けるだけでも、会社の回答に対する理解を求めるとともに、要求のポイントやその強さを知ることができ、場合によっては第二次回答を示すことの要否を決める手がかりが得られるのである。右のような説明を行い、質問を受けることは、銭労との団体交渉の経過いかんにかかわらずできることであるし、当初から数次の上積み回答が見込まれるような場合には、銭労に対するより先に名古屋支部に対して第二次回答をしたからといって、銭労との団体交渉に支障が生ずるとは考えられない。現に、昭和五〇年の夏期一時金についての名古屋支部との第一回団体交渉は、銭労と同日に行われているが、これによって不都合が生じたことを窺わせる証拠はない。更に、名古屋支部は、名古屋支店が独自にその賃金、一時金等を決定し得る傭員をも組合員とし、これに対する一時金もその要求事項に含まれていたのであるから、これについては銭労との団体交渉の経過を勘案せずに団体交渉ができたことは明らかである。

しかるに、会社は、前認定のとおり、名古屋支部との団体交渉については、一貫して、銭労との団体交渉期日を基準にしてこれよりも遅い期日を設定し、銭労に対してよりも短い時間に限定し、銭労に対する回答以上の回答を示さないという方針のもとに、すなわち、譲歩意思を持たずに団体交渉に臨んでいたのであるから、銭労に比べて不当に名古屋支部を軽視し、誠実に団体交渉を行わないものとして、労働組合法七条二号の不当労働行為に該当することは明らかであり、昭和五三年度年末一時金についての団体交渉が遅れたのも、会社のこのような態度の表れというべきである。

(六) また、会社は、名古屋支部との団体交渉が著しく遅れたのは、昭和五三年度年末一時金についての団体交渉のみであるから、その遅延が不当労働行為となるとしても、本件命令のようないわゆる抽象的不作為を命ずることは違法である旨主張する。

しかし、右のとおり、会社の名古屋支部との団体交渉の態度は、一貫して銭労との交渉を優先させるなど不誠実なものであって、昭和五三年度の年末一時金についての団体交渉が遅れたことも、その一例なのであるから、将来にわたって同種の行為が繰り返されるおそれがあったことは明らかである。本件命令は、銭労との団体交渉を優先させることをおよそ禁止しているかのようであるが、銭労との団体交渉に比べ開催期日、回答の日時・方法等についてある程度の差異が生じることはやむを得ない旨述べていること、また、前説示のとおり、圧倒的多数の従業員で構成される組合との団体交渉をごく少数の従業員で構成される組合との団体交渉より優先させても不当とはいえない場合もあることに鑑みると、その趣旨とするところは、銭労との交渉を不当に優先させることを不誠実な対応の一つとして禁止するにあるものと解される。

そうすると、本件命令が、団体交渉について、銭労との交渉を優先させるなどして名古屋支部に対し不誠実な対応をしてはならない旨及びいわゆるポストノーティスを命じたことは、労働委員会の裁量の範囲内に属し、適法である。

(七) なお、会社は、本件命令が、一一月一七日の夜、名古屋支部に対し、同日の銭労との団体交渉の席上で回答したものと同一の内容を電話で回答し、同月二〇日の夜、同日の銭労との団体交渉の席上で行った回答を電話で通知したにすぎないことをも、会社の団体交渉に対する態度を不当労働行為とする一事情としていることを捉えて、その違法を主張する。

賃金、一時金等が使用者と組合との団体交渉を経て協定によって決定される場合には、前説示のような諸要素を団体交渉の中で臨機に判断して回答がされるのであるから、複数の組合と別個に団体交渉を行う場合には、当初の回答は別として、その後の回答は、複数の組合に同時に行うことは事実上不可能である。したがって、一方の組合に対し団体交渉の席上で行った回答を他方の組合に同時に行わなかったとしても、そのこと自体を捉えて、他方の組合を軽視していることの表れとみることはできない。

そうすると、銭労との団体交渉は、前認定のように大阪において夜に行われるのであるから、その場で出された会社の回答をその日のうちに名古屋支部に回答することができないことはあり得ることである。会社は、名古屋支部からの申入れを踏まえて、銭労との団体交渉の席上でした回答内容を名古屋支部に電話で知らせていたのであるから、その内容が、銭労組合員の平均で示された銭労にのみ妥当するものであったとしても、名古屋支部にも参考になるものである以上、それ自体は、名古屋支部を軽視したものとはいえない。

しかし、一方の組合との団体交渉の席上で示した回答が他方の組合の要求とも共通する事項である場合には、他方の組合にもできるだけ速やかに回答することが、組合併存のもとで使用者のとるべき態度であるところ、前(一)(10)、(二)(9)及び(10)認定の事実によると、会社は、銭労との間では、一一月一七日及び二〇日に団体交渉で行い、その席上で上積み回答をしながら、名古屋支部に対しては、銭労に対して回答を行った旨及びその内容を連絡したのみであって、一一月二二日の団体交渉まで改めて回答することもなく経過し、名古屋支部が、一一月一七日の電話連絡を名古屋支部に対する回答とみなしたため、これに基づく交渉が漸く行われたというのである。このように、銭労との団体交渉の席上で行った回答を、名古屋支部に対しては、回答がされた旨及びその内容の電話連絡にとどめ、団体交渉期日までに改めて回答を行わなかったことは、銭労に比べて名古屋支部を軽視していることの一つの表れということができる。本件命令が、名古屋支部に対する回答を電話で行ったことを会社の名古屋支部を軽視した不誠実な態度の一とするのは、右の趣旨であると解することができ、本件命令に原告会社主張のような違法はない。

3  菊地に対する賃金差別について

(一) 本件命令の「第1 当委員会の認定した事実」中の4(1)ア、イ、(3)認定の事実は、当事者間に争いがない。右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 会社は、昭和五一年以降、賃上げについては、銭労、大阪支部及び名古屋支部との間で協定を結び、毎年二月二一日に遡って実施してきた(もっとも、昭和五四年については、「定期入社標準者」の解釈をめぐって争いが生じたため、名古屋支部とは協定の締結ができなかった。)。

右の賃上げに関する協定のうち、会社と名古屋支部との協定は、次のような内容を含むものであった。

〈昭和五一年の協定〉

①従業員の現平均本給を一万五四〇七円(一二・三一パーセント)増額する(但し、定昇込み)。

②定期入社標準者(男子)のモデル本給を次のとおりとする。

一九歳 八万五六〇〇円程度

二〇歳 九万〇〇〇〇円程度

二三歳 一〇万三二〇〇円程度

二五歳 一一万四四〇〇円程度

二七歳 一二万五六〇〇円程度

三〇歳 一四万三五〇〇円程度

三二歳 一五万五五〇〇円程度

〈昭和五二年の協定〉

定期入社標準者(男子)のモデル本給を次のとおりとする。

二〇歳 九万六七〇〇円程度

二三歳 一一万〇五〇〇円程度

二五歳 一二万二一〇〇円程度

二七歳 一三万三七〇〇円程度

三〇歳 一五万二三〇〇円程度

三二歳 一六万四九〇〇円程度

〈昭和五三年の協定(本件協定)〉

①定期入社標準者(男子)のモデル本給を次のとおりとする。

二三歳(七級) 一一万六一〇〇円程度

二五歳(七級) 一二万八三〇〇円程度

二七歳(七級) 一四万〇五〇〇円程度

三〇歳(六級) 一六万〇一〇〇円程度

三二歳(六級) 一七万三三〇〇円程度

②考課幅については次のとおりとする。

二三歳ないし二五歳 プラスマイナス一・七四パーセント以内

二六歳ないし三三歳 プラスマイナス一・八八パーセント以内

(2) 会社と銭労及び大阪支部との賃上げに関する協定も、右と同内容を含むものであった。もっとも、昭和五二年及び昭和五三年の銭労との協定には、右条項のほかに銭労組合員の平均賃金額の合意も含まれていたが、会社は、名古屋支部及び大阪支部に対しては、組合名簿が提出されていないため、誰がその組合員であるかが明らかでないこと及びその組合員数が少なく平均を示しても有意なものではないと考えたことから、組合員平均の賃上げ額は示さなかった。

また、昭和五一年及び昭和五二年については、考課幅が協定の中には含まれていないが、会社は、いずれも回答書(昭和五二年については協定と同日のもの)の中で、標準者を中心としての考課幅を示しており、それを前提にして各協定は締結された。これによると、昭和五一年の考課幅は、二三歳ないし二五歳はプラスマイナス一・七四パーセント、二六歳ないし三三歳はプラスマイナス一・八八パーセントであり、昭和五二年は昭和五三年と同一であった。

なお、会社は、昭和五四年については、名古屋支部と協定の締結に至らなかったが、銭労及び大阪支部とは、次のような内容を含む協定を締結した。

①定期入社標準者(事務職・技術職)のモデル本給を次の通りとする。

二三歳(七級) 一二万二三〇〇円程度

二五歳(七級) 一三万五一〇〇円程度

二七歳(七級) 一四万七九〇〇円程度

三〇歳(六級) 一六万八四〇〇円程度

三二歳(六級) 一八万二二〇〇円程度

②前記における考課幅は次のとおりとする。

二三歳ないし二五歳 プラスマイナス一・七四パーセント以内

二六歳ないし三三歳 プラスマイナス一・八八パーセント以内

(3) ところで、会社には、職制の補完及び適正な処遇を図ることを目的として、従前から、全従業員を理事、社員一級ないし八級(以下では、単に「一級」、「二級」、「八級」などのようにいう。)、準社員及び見習社員のいずれかの資格に属させる旨の資格制度が存していた。

昭和四九年に、次項の賃金体系の変更に際し、資格と賃金とを結び付けることとするほか、「従業員資格制度要綱」を作成して、各資格の定義、資格要件などを定め、更に、上位の資格級への格付け(以下「昇格」という。)について、従来の実態を明文化した昇格選考内規も作成した。

(4) 会社は、昭和四九年にその賃金体系を変更した。新賃金体系は次のような内容のものであった。

基準内賃金である本給は、本人給と資格給とで構成される。本人給は、毎年四月一日現在の年齢(満四一歳未満については、会社入社時の年齢を、実際の年齢にかかわらず、大学卒の場合は二二歳、高校卒の場合は一八歳などとし、これを基点として定めた標準年齢をいう。以下同じ。)に応じて自動的に定まり、満五〇歳までは年齢が一加わるごとに一定額が増額される(具体的な金額は賃金表によって定められている。)。

資格給は、毎年二月二一日現在の資格に応じ、各資格ごとに一号俸から一五号俸まで(準社員から社員五級まで)に分かち、各号俸ごとに定められた所定の金額(標準賃率と称される。)に、各従業員の考課査定の結果に基づく所定の金額(査定賃率と称される。)を加減して決定される。そして、各従業員は、原則として毎年一号俸ずつ上位の号俸の資格給を支給される。昇格する場合には、資格給の標準賃率が旧資格給のままであった場合に支給されるべき号俸の標準賃率に比べ直近で多額となる号俸の資格給が支給される。

(5) 右(3)及び(4)の資格制度及び賃金体系によると、定期入社者(毎年四月に、その年に学校を卒業して入社する者をいう。以下同じ。)であって、大学卒業者は、入社時に見習社員(Ⅰ)に格付けられ、原則として一年後(二三歳)に八級(Ⅰ)五号俸に昇格し、その後更に一年(二四歳)で七級二号俸に昇格することとなっていた。高等学校卒業者は、入社時に見習社員(Ⅰ)に格付けられ、原則として一年後(一九歳)に八級(Ⅰ)一号俸に昇格し、その後更に四年(二三歳)で七級一号俸に昇格する(《証拠省略》によると、八級(Ⅰ)五号俸と七級一号俸の資格給の標準賃率は同額である。)。そして、高等学校卒業者と大学卒業者は、原則として標準年齢二四歳で資格給号俸が同じになる。

定期入社者の場合、八級及び七級へは、長期にわたり欠勤した等の特別の事情のない限り、所定の年数の経過によって昇格するのに対し、六級への昇格は、七級在級年数のほか、勤務成績をも考慮され、過去二年間の人事考課が普通(七段階の絶対評価の四段階目)以上でなければ原則として昇格しない。もっとも、三〇歳(大学卒業者の場合は七級在級六年)で六級に昇格する者が最も多く、二九歳及び三一歳で昇格する者とを併せると、約九割程度に達する。

そして、会社の人事担当者等の間では、右のような経過を経て標準的に昇進し、三〇歳で六級に昇格する者を定期入社標準者と称しており、銭労との協定締結に当たってはこの旨を説明した。

なお、昇格は、毎年二月二一日に行われる。

(6) 定期入社者は、二九歳で六級に昇格するときには六級一号俸(前年度七級六号俸)の資格給を、三〇歳で六級に昇格するときには六級二号俸(前年度七級七号俸)の資格給を、三一歳ないし三三歳で六級に昇格するときには六級三号俸の資格給(前年七級八号俸ないし一〇号俸)を、それぞれ支給される。二九歳ないし三一歳で六級に昇格した者相互間では、六級在級中は資格手当てに差がないが、三二歳以上で六級に昇格した者とそれ以前に昇格した者との間では、一号俸以上の差が生ずることになる。

(7) 菊地は、昭和四二年三月に大学を卒業し、同年四月に会社に入社した定期入社者であって、入社と同時に見習社員に格付けられ、翌年八級に、昭和四四年七級に、それぞれ昇格した。昭和四九年の賃金体系の変更の際には、七級七号俸の資格給を支給されることになった。また、昭和五〇年には七級在級六年となったが、六級に昇格せず、昭和五三年二月に六級に昇格し、六級三号俸の資格手当(前年度の資格給は七級一〇号俸)を支給されるようになった。

菊地の昭和五三年四月から翌年三月までの標準年齢は、三三歳であって、本件協定には三三歳のモデル本給は示されていなかったが、これを受けて会社が改定した賃金表によると、三三歳の本人給は一一万二〇〇〇円であり、六級三号俸の資格給の標準賃率は五万九九〇〇円、六級五号俸のそれは六万七九〇〇円であった。また、菊地の支給された昭和五三年度の本給は一七万一九〇〇円であり、右三三歳の本人給と六級三号の資格給の標準賃率の合計と一致した。

(8) 会社は、右の賃金体系を昭和五四年七月までは公表しておらず、従業員は、資格制度が存すること及び自らの資格を知っているだけであった。

しかし、会社は、昭和五三年の銭労との団体交渉の中では、本給には、年齢によって固定的に定まる部分と能力によって定まる部分があるという程度の説明はしていた。

(9) 昭和五二年ないし昭和五四年には、標準年齢三二歳の従業員でそれぞれの協定の定める右年齢のモデル本給を一・八八パーセントを超えて下回る本給の支給を受けた定期入社の男子従業員が、昭和五二年には四名(そのうちの一名が菊地、他は銭労組合員)、昭和五三年には三名(いずれも銭労組合員)、昭和五四年には八名(一名は大阪支部組合員、他はいずれも銭労組合員)いた。

また、昭和五三年には、本件協定締結後の交渉で確認された標準年齢三三歳の定期入社標準者(男子)の本給を一・八八パーセントを超えて下回る本給の支給を受けた定期入社の男子従業員は、菊地のほかに二名おり、昭和五二年ないし昭和五四年のいずれの年においても、各賃金協定に示された標準年齢のモデル本給から類推できる三三歳及び三一歳の本給額を一・八八パーセントを超えて下回る本給の支給を受けた各標準年齢に該当する定期入社の男子従業員が多数いた。

(二) 右(一)認定の事実によれば、昭和五一年の名古屋支部との協定においては、第一項で、全従業員平均の賃上げ額を示し、第二項で、例示された数ランクの年齢について「定期入社標準者(男子)」のモデル本給額を概数で示しているに止まるのであるから、その例示された金額のみですべての従業員の賃金額が決定され得るものではなく、しかも、例示されているのは概数で示された「モデル」本給なのであるから、「定期入社標準者(男子)」であっても右金額とは異なる本給を支給される者のいることが、当然に予定されていたものということができる。

もっとも、昭和五二年及び昭和五三年の名古屋支部との協定においては、昭和五一年のそれとは異なり、全従業員平均の賃上げ額は明示されていない。しかし、会社は、昭和五二年及び昭和五三年の銭労との協定においては、第一項で、銭労組合員に対する平均賃上げ額を示し、第二項で、例示された数ランクの年齢について「定期入社標準者(男子)」のモデル本給額を概数で示しているのであって、全従業員平均の賃上げ額の代わりに銭労組合員平均の賃上げ額を示していることを除くと、その構成及び内容は、昭和五一年の名古屋支部との協定と同一である。そして、会社が名古屋支部及び大阪支部との協定において組合員の平均額を示していないのは、誰が組合員であるのかが明確でなかったこと及び組合員が少数であるからその平均額が有意なものといえないと考えたためであるというのであるから、会社としては、名古屋支部及び大阪支部についても、銭労と同一内容の協定を結ぶ意思であったことは明らかである。事実、《証拠省略》によると、会社は、名古屋支部と協定を締結するに当たっては、名古屋支店との間で打合せを行い、銭労及び大阪支部との協定内容と統一を図るようにしていたことが認められる。

そうすると、本件協定を含む昭和五一年以降の賃金協定を締結した会社の意思は、協定にいう「定期入社標準者」とは、会社のいう「定期入社標準者」、すなわち、高等学校を卒業とともに入社し、以後、見習社員一年、八級社員四年(大学卒業とともに入社した者は一年)、七級社員七年(大学卒業とともに入社した者は六年)という経緯で昇進し、三〇歳で六級に昇格するという標準的な昇格をしている者を意味し、かつ、右の意味での「定期入社標準者」について例示されたモデル本給を基礎にして考課幅の範囲内で考課を行う、ということにあったものと解される。この点について、被告補助参加人は、「定期入社標準者」とは、定期に入社した社員であって考課査定により標準的ないしは中位に位置するとされた者を指す旨主張するが、少なくとも、会社が右主張のような意思をもって協定を締結したものでないことは明らかである。会社が、昭和五四年の銭労及び大阪支部との協定の第一項において、本件協定と同様、五ランクの年齢について「定期入社標準者」のモデル本給額を例示するとともに、第二項において、「前記における考課幅は次のとおりとする。」として、考課がモデル本給額を基礎としたものであることを明記したのは、このことの表れということができる。

これを要するに、本件協定を含む会社と名古屋支部との間の協定においては、「定期入社標準者」の意味を会社のいうところとは別異に解する余地がないか、また、菊地の本給の定めが本件協定に違反し、同人が本件協定を根拠に右以上の本給の支払を求め得る私法上の権利を有しないかは別として、少なくとも会社としては、「定期入社標準者」についての右のような理解を前提として、菊地の昭和五三年の本給を一七万一九〇〇円と定めたものであり、いいかえれば、菊地は、昭和五三年二月二一日に旧号俸たる七級一〇号俸から六級三号俸に昇格し、しかも、六級三号俸の資格給については考課査定をプラスマイナスゼロとする標準額の支給を受けているのであるから、会社には同年の菊地の賃金を不利益に扱う意思は存しなかったものというべきである。前記(一)(9)に認定した事実も、これを裏付ける一事情ということができる。

そうすると、会社が、菊地の昭和五三年度の本給を一七万一九〇〇円と定め、これに基づいて賃金を支給したことは、不当労働行為の意思を欠き、何ら不当労働行為を構成するものではないというべきである。

(三) なお、《証拠省略》によれば、被告補助参加人は、初審手続において、会社の賃金体系は、菊地の賃金差別を糊塗するために本件初審申立後に急遽作成されたものであるとして、次のように主張していることが認められる。

(1) 会社の賃金規則には、本給の構成要素についての規定も、賃金体系を下位規定に委ねる旨の規定もない。そればかりか、会社の主張する賃金体系は、賃金規則とも整合性を有しない。すなわち、賃金規則によると、昇給は、本給について行い、また、定期昇給は、おおむね毎年三月に人事考課に基づいて行うが、経理上やむを得ない事情がある場合は定期昇給を行わないこともあり、前年一〇月以降に入社した者、勤務成績の著しく不良な者及び休職中の者については原則として昇給を行わないものとされている。しかるに、会社の賃金体系によると、本給中の本人給は年齢によって自動的に上昇していくことになっており、本人給を含む本給について昇給がない場合というのはあり得ないし、資格給も在級年数の逓増に伴い原則として自動的に上昇していくものとされており、定期昇給は人事考課に基づいて行うという賃金規則の文言と矛盾する。また、賃金体系によると、資格給について「成績不良者については号俸を移動しないことがある。」となっているが、これも、「……勤務成績の著しく不良な者及び休職中の者については、原則として、昇給を行わない。」との賃金規則の規定と不統一である。

(2) 賃金体系は、秘密にしておくことを要する内容を何ら含むものではない。しかるに、会社は、名古屋北労働基準監督署から昭和五四年一月一九日に賃金体系提出を指導表によって求められたのに対し、同年三月中には提出する旨述べていたにもかかわらず、また、本件初審申立後愛知県地方労働委員会からも賃金体系の提出を求められていたのに、五四年七月まで公表できなかった。

(3) 名古屋支部は、昭和五二年の団体交渉において、菊地の昭和五二年度の本給についても、賃金協定の考課査定範囲を超えており、協定違反であるとして会社を追及した。これに対し、会社は、賃金協定のモデル本給は三二歳で六級の者であり、七級ポイントは別にあり、七級である菊地には適用されない旨説明した。本件における会社の主張によると、三二歳の七級ポイントというものはないことになり、この説明と矛盾することになる。

(4) 名古屋支部は、団体交渉において、菊地の昭和五三年度本給が本件協定違反であるとして会社を追及したが、名古屋支店の団体交渉要員は、この問題について説明することができず、本社に聞きに行かなければならないほどであり、その後も、単に違反しないというのみで、具体的な説明をすることができず、賃金体系も見たことがないと言明した。

(5) 会社従業員の本給は、現実には、六級の者は一〇〇〇円きざみ、七級の者は七〇〇円きざみになっており、会社は、査定賃率表を書証として提出していないが、これをもとに会社の主張のとおりの方法で査定賃率を算出すると、六級一号俸の場合は五ランク、六級二ないし八号俸の場合は七ランク、六級九号俸以上は三ランクなどと、級及び号俸によって査定ランクがばらばらになってしまうなど、会社主張の査定賃率表なるものは、あまりにも不自然なものである。

(四) しかし、右主張は、いずれも採用することができない。すなわち、

(1) 《証拠省略》によると、昭和五三年当時の賃金規則には、本給の構成要素についての定めも、これを下位規定に委ねる旨の定めも存しないことが認められる。しかし、就業規則及び賃金規則の範囲内で一定の運用指針あるいは運用上の内規として賃金体系を作成し、これに基づいて本給を一定の構成部分に分けることができないわけではないから、本給の構成要素や委任規定が存しないからといって、賃金体系が存在しなかったことの根拠とはならない。

(2) また、《証拠省略》によると、会社の賃金規則には、昇給について、被告補助参加人主張のような規定があることが認められる。

しかし、《証拠省略》によると、会社は、賃金体系公表後の昭和五四年七月一七日、賃金規則に第一二条の二として「賃金体系は別に定める。」との規定を追加する旨の就業規則変更届けを、組合に公表したのと同旨の賃金体系を添付して労働基準監督署に届け出たこと、その後、賃金体系及び賃金規則の改正を行っていないことが認められる。このことは、会社としては、賃金体系と賃金規則との整合性についてはとくに改正を要するような問題はないと考えていたことを示すものであって、被告補助参加人ら主張の諸点が、仮に賃金規則と賃金体系との整合性に問題のあるものであるとしても(なお、被告補助参加人の主張するような点は、考課によって昇給させることを控えるというだけのことであり、整合性がないとまではいえない。)、賃金体系を急遽作成したことを示す根拠とならない。

(3) 《証拠省略》によると、会社は、賃金体系の公表が遅れた理由について、昭和四九年以前には、総合決定給という制度をとっていたため、主に五級及び四級の従業員等で賃金体系に合致しない者が生じ、これを調整するのに時間を要し、昭和五四年四月からは賃上げ及び夏季一時金についての組合との交渉に時間を取られたため、発表が同年七月になった旨説明していることが認められるが、賃金体系を発表しなかったことの当否は別として、右説明は、発表が遅れた理由として首肯し得ないものではなく、また、《証拠省略》によると、昭和五三年の賃上げについての銭労との団体交渉では、近々賃金体系が発表される旨説明していることが認められるから、賃金体系の発表が昭和五四年七月になったからといって、昭和四九年に賃金体系が変更されたとの前記認定を左右するには足りない。

(4) 《証拠省略》によると、名古屋支部は、昭和五二年六月二三日の団体交渉において、菊地の同年度本給が、賃金協定による三二歳モデル本給一六万四九〇〇円から会社回答の査定幅を超えて下回っている旨主張して、会社の説明を求めたところ、会社は、同月三〇日及び同年七月六日の団体交渉において、同年度の賃金協定の三二歳モデル本給は、六級の本給であり、菊地は七級であるから適用にならず、七級ポイントは別にある旨回答したこと、菊地の昭和五三年度本給について本件協定違反の有無が取り上げられた団体交渉においては、名古屋支店の団体交渉要員は、名古屋支店ではわからないので本社で調べる旨回答し、高野課長が大阪本社で人事部の担当者と打合せを行った上、名古屋支部に昭和五三年度の菊地の本給は、本件協定に違反しない旨回答したが、その根拠については賃金体系を公表していないとして、具体的な説明をしなかったことが認められる。

しかし、右昭和五二年の団体交渉における説明は、会社が、賃金体系を公表していなかったことの制約から説明不足のものになったものではあるが、賃金協定が会社主張の意味の定期入社標準者にのみ適用されるとの見解に立った説明と解することができるし(「七級ポイント」とは七級の各号俸の標準賃率の意味と解することができる。)、昭和五三年の団体交渉における説明も、本社と打ち合わせた上で答える必要性は十分に肯定できる上、《証拠省略》中には、賃金体系を見ていない旨発言したのは、賃金体系を公表できないことから追い詰められてのものである旨の部分があり、また、前(一)(8)認定のとおり、銭労に対しては、昭和五三年の団体交渉の中で会社主張の賃金体系と合致する説明を行っていることをも併せ考えると、昭和五三年の団体交渉における会社の説明が誠実に団体交渉を行っていないことの表れとなるかどうかは別として、これによって、昭和四九年に賃金体系が変更されたとの前記認定を左右するに足りる事情とはいえない。

(5) また、《証拠省略》には、名古屋支部が会社の従業員について調査したところ、六級の者の賃金は一〇〇〇円きざみであり、七級の者は七〇〇円きざみであることがわかった旨の部分がある。しかして、六級及び七級の各号俸の資格給の査定賃率の差(考課査定による差)が右一〇〇〇円及び七〇〇円であることを根拠に、会社のいう査定賃率が不自然であるという。しかし、名古屋支部の調査の範囲、内容等は明らかでなく、一部の従業員の賃金の差が一〇〇〇円又は七〇〇円であったからといって、六級及び七級の各号俸における資格給の考課査定部分の差が右金額のとおりであると認めるには不十分であり、昭和四九年に賃金体系が変更されたとの前記認定を左右するに足りる事情とはいえない。

(五) 右のとおりであって、本件命令が、菊地の昭和五三年度賃金を一七万一九〇〇円と定めた会社の行為を不当労働行為に当たるとしたことは、不当労働行為の意思についての事実の認定及び判断を誤った違法があることになる。

なお、菊地は、前記の資格制度のもとで、昭和五〇年に七級在級六年となり、同年二月二一日に六級に昇格するのが標準であるところ、昭和五〇年、昭和五一年及び昭和五二年の各昇格期(二月二一日)のいずれにおいても、六級に昇格していない。しかし、《証拠省略》によると、被告補助参加人は、初審以来一貫して、会社が菊地の昭和五三年度本給を本件協定に違反して一七万一九〇〇円としたことを不当労働行為を構成する事実として主張し、これからの救済を求めていること、また、本件初審申立は、昭和五四年三月二九日であることが認められるから、たとえ、菊地が昭和五〇年、昭和五一年及び昭和五二年の各昇格期に六級に昇格せず、その後次の査定期まで六級に昇格したことを前提とする資格給の支給を受けなかったことが不当労働行為に当たると解する余地があるとしても、本件初審申立時までは、行為が終わってから既に一年以上を経過していたことが明らかである。したがって、いずれにせよ、昭和五二年以前の昇格の遅れが不当労働行為となるか否かについては判断の限りでない。

第三結論

以上の次第で、原告名古屋支店の本件訴えは不適法なものであるからこれを却下し、原告会社の本訴請求は、そのうち、初審命令中の菊地の昭和五三年度本給を昭和五三年二月二一日付けで一七万九九〇〇円に是正し、是正に伴って支払うべき本給、時間外手当及び一時金と支払済みの本給、時間外手当及び一時金との差額の支払を命じた部分に対する再審査申立を棄却した部分の取消を求める部分は理由があるから右部分を認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、九四条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 太田豊 裁判官 田村眞 裁判官水上敏は、転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 太田豊)

〈以下省略〉

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